冬の寒気も次第に遠のいて柔らかな日差しが下りてくる、そんな昼下がりであった。フランスは明るい金の髪を手ぐしで軽く整えた後、数度チャイムを鳴らした。ポーンポーンと高い音が鳴った後、しばらくの間待機しても扉が開けられることなく、はてとフランスは内心首をかしげた。そして左手の腕時計を確認し、やはりおかしいなと思う。今日この時間に家を訪れることは前もって告げておいたはずなのだが、出かけてしまったのだろうかと思考を巡らせたところで一つの可能性にたどり着く。その可能性を確認するべく扉の前から背を向けて、前庭へと降り立ちそのまま左手に進んでゆく。
フランス式の庭園とは異なり自然的なイギリス式の庭園の小道を足早に進む。まだ庭園が最高に美しくなる時期には些か早くもの寂しいがそれもすぐに終わるだろう。色鮮やかな花々の季節がやってくるのもあと僅かなのだ。
訪ねた家の裏は小さな薔薇園といっても過言ではない。薔薇色、ライラック、白に黄色とこれでもかいうほどのイングリッシュローズで作られたイギリスご自慢の庭だ。そして、そこにイギリスがいるのではないかと仮定して、フランスは向かっているのだった。これほどいい天気なのだし、庭の手入れをしている可能性がある。それに―
「イギリス!」
こちら側に背を向けて薔薇園の隅、小さな薔薇が咲くその下に静かに、彼は座り込んでいた。こちらへの反応は全くなく、じっとしている。まさか聞こえなかったわけでもあるまいし、なにか夢中になっているものでもあるのだろうかともう一度呼びかけながらフランスは近寄り、そして眉をひそめた。
「フランスか。」とこちらに見向きもせずにイギリスは答え、一点を見つめている。
「……今朝、見つけたんだ。」
その一言で全てを理解したフランスはイギリスの横に屈みこむ。
それ以来途切れた会話を気にすることもなくイギリスはその場から動かない。いや、動けないのかもしれなかった。そっと、迷うように手をだし、そして引っ込める。それを幾度か繰り返し、彼はようやくそれに触れた。
「つめたい。」なんの感情もこめられていない言葉だった。ゆっくりと、それを確かめるかのように手を上下させる。何度も何度も、繰り返し確認するかのような手つきであった。手の動きに合わせてさらさらと毛が流れる。
それは、猫だった。小さな、まだ大人になりきれていない体の。自分の記憶が正しければ、夏ごろからイギリスの庭で時折見かけていた茶色の子。こちらが近寄ると、警戒して逃げ出す人慣れしていない猫だった。イギリスと二人でミルクを用意して庭においたこともあった。
「どうして」とイギリスが呟いた。こちらに問いかける意思のない小さな声でイギリスは言った。肉付きの悪いその子のおでこをそっとなでて彼は、絞り出すような声で「お前、まだちいさいのに。」と言う。フランスもなでた。冷たくて小さな体だった。思わずためらってしまうほど、その子の体は静かだった。生を宿すものは何もなかった。フランスは優しく耳を撫でた。
「ずっと、朝からいるの?」
「……ああ。」
囁くように話し合う。
「お前、泣いていいんだよ。」
「いきなりなにを。」
「泣きそうな、顔してる。すごく辛そうな顔。
泣いていいんだよ?」
「泣かねえよ。」
「なんで?」
「こんなことくらいで、大の大人が泣くなんて変だろ。」
「変じゃないよ、変じゃない。」
二人ともが目を合わせない不思議な会話だった。ただ、目の前のそれを見つめ続ける。
「もう、緑色の目がぐじゅぐじゅの癖に。なんでこんなところで我慢するのか分らないよ。」
「猫が、しかもたまに通ってくる猫が庭で死んでただけでなくとかあり得ない。
俺は、イギリスだ。」
「お前はイギリスだ。それが何?
こういうときは、つらいって悲しいって言えばいいし、泣けばいい。
つらいって、苦しいって、悲しいって、つまりはその子がいて幸せだったってことだろ。
泣くってことは、大好きだったってことだろ。
いっぱい、泣き言言って幸せだったって言ってやって、いっぱい泣いて大好きだって言ってやればいいじゃん。」
「……ばか。おまえってばか。落ち込んだ俺は面倒だぞ。」
「知ってる。
いっぱい撫でて、そして土に埋めてやればいい。
お別れってそうやってするんだよ、イギリス。」
それからイギリスからの返事はなくなった。
あとは、優しい日差しが二人を照らすだけだった。
お別れは君と一緒に。
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